2012年12月30日 15:27 | 井上先生のつぶやき
人の「分」ということ
人は生まれたときからこの世の中のため他人のためになにを成すべきか役割が決められているように思います。
人それぞれ違いますし、他の人が取って代われるものでもないと思います。
それを昔の人は「分」と呼びました。
それが何か見つけるために挑戦することは尊いことだと思います。
人の一生は挑戦してダメだと悟って、また自分の居場所探して挑戦する。
その繰り返しだと思います。
その結果どこにたどり着くのか分かりませんがそれが自分の「分」だと信じ挑戦・努力すること、その努力そのものが尊いんじゃないかと思います。
小言幸兵衛、天邪鬼爺さんの独り言
2012年12月29日 08:50 | 井上先生のつぶやき
「日本のプロ(玄人)」の未来は・・・
毎朝、河内長野から紀見トンネルを越えて橋本に通ってくるのですがトンネル出たところに大きな温度計があります。
とうとう氷点下の表示が出てました。
おかしなものでそれまで車の中でぬくぬくと快適だったはずなのに氷点下の表示見たとたんにブルブルと寒さが這い上がってきました。
体感温度で過ごしてきたはずなのに視感温度とでもいうようなものが自分の体の中に発生してきたようで気持ち悪い感覚でした。
今年の夏は暑かった。とみんな言っておりましたが僕自身は寝るとき一度も冷房入れませんでしたし、そんなに暑い夏だとは感じなかったです。
「暑い暑い」言っている人にそんなに暑いかと聞いたら「朝天気予報で今日は暑くなる、真夏日や、言うとったから暑いに決まってるやろ」・・・みんなこうなんですよね。
自分の実感で物を言っているんじゃないんです。
テレビが、ラジオが、マスコミがそう言っているから、そうに決まっている。最近はみんなそうですね。
今年の冬は冬らしい寒波で始まりました。夏から続いていた違和感がだんだん強くなるのを感じて原因考えてみました。
天気予報アナウンサーの意味のない個人コメントにあることがわかりました。
十二月に入ってるのに「突然本格的な冬本番の寒波の到来です。」十二月は冬本番なので本格的寒波来るのが当たり前なのです。
時雨が降っ6て寒いのが十二月なのです。
アナウンサーは情報読むのが仕事のプロ(玄人)なんですから下手な芸人みたいなコメントは言っちゃあいけません。
おまけにそれが的外れなんですから赤っ恥です。
最近はすべてにおいてプロ(玄人)とアマ(素人)の区別が曖昧です。
これじゃあ日本のプロ(玄人)は絶滅してしまうでしょうね。
せめて日本のお母さんくらいは「子育てのプロ(玄人)」と呼ばれ続けるようになっていって欲しいですね。
我々はそのお手伝いが出来れば・・・と思っています。
寒くなると小言が多くなります。
これも年のせい・・・にしときましょうか・・・小言幸兵衛 天邪鬼爺さんの独り言・・でした。
2012年12月28日 08:30 | 井上先生のつぶやき
子供の名前について・・・思うこと
年取ると朝起きるのが早くなる・・・寝るのにも体力が必要なんだと実感している今日この頃です。
おかげで美味しい珈琲を楽しみながら、新聞をゆっくり読めて悪いことばかりではないなぁと独り悦に入ってます。
先日の新聞に今年の名前ランキングの発表がありました。
女子が「結衣」男子が「蓮」だそうです。
そして女子の名前に一番使用される漢字は「菜」だそうです。
ファーストフードばかりで野菜不足を心配しているのかしら・・・と余計な勘ぐりを入れたくなります。
一時の綺羅綺羅ネームと比べたら普通に戻ってきたのかなと歓迎したくなりました。
けれども問題はその漢字の読み方と言うか呼び方です。
「心愛」と書いてココア。読みが少し難しい。。。
名前って漢字で書くよりも他人から呼ばれることのほうがその子の一生に大きな影響与えると思います。
いっそ名前はみんな「ひらがな」でとしたほうが良いかも知れませんね。
近いうちに学校の出席簿はそうなると予想します。
名前なんて個人を識別するコードに過ぎないという考え方ですね。
パソコン無しでは不便な時代だし、産まれた時からパソコンが身近にあった子供たちです、
それも仕方ないですかね。
こんな傾向漢字を使う日本だけの問題かと思ったら外国でもあるそうです。
昨年アップルコンピュータのカリスマCEOジョブスさんが亡くなられてMacintosh apple の評価が鰻登りで、女子で Apple 男子で Mac と命名した親が続出したそうです。
インドでは Facebook なんて名前まで出てきたそうです。
ここからが米国らしいと思うのですが、
弁護士のコメントとして「名前はその個人のものであるから親が変な名前つけたことによってその子供が虐められたりからかわれたりするような事態になった場合、子供から親に対して損害賠償請求訴訟を起こされるかもしれません。注意してください。」とのコメントが付いてました。
但し書きとして、親がそう命名した理由それが社会的に納得できる正当性があれば良いそうです。
そんな名前最初から付けなければいいじゃないかと思うのですが・・・おかしな世の中になってきました。
小言幸兵衛 天邪鬼爺さんの独り言・・・でした。
2012年12月27日 08:40 | 井上先生のつぶやき
「大往生」を考える
歌舞伎役者で俳優の中村勘三郎さんがお亡くなりになりました。
57歳だったそうです。
「まだまだ若いのに志半ばで病魔に命奪われてさぞ無念だったでしょう。どうして才能ある人ほど若くして亡くなられるのでしょう。」とマスコミはこぞってコメントを繰り返し流し続けます。
まるで若くて死ぬことが理不尽なことのような物言いに違和感を感じるのは私だけでしょうか。
彼はその才能を存分に発揮して力技も女形もこなした。
平成中村座を主宰して歌舞伎の原点に戻ることから新しい可能性を我々に見せてくれた。
その才能を開花させ彼の絶頂期に病に倒れみんなが心配した。
そして、みんなに惜しまれながらその一生に幕を引いた。
これを大往生と言わずして何を往生というのでしょうか。
生きているということは致死率100%ということです。
どれだけ生きればよいというものでなくどう生きたかでその人を評価し称え同時代を生きれた幸せに納得する、残された者にはそれしか出来ないと思います。
「四苦八苦」という言葉が仏教にあります。
四苦とは生・老・病・死・・・ここでいう「苦」とは苦しむことでなく天からの授かりもので人力ではどうしようもないもの、逆らうと苦しまなければならないものを意味します。
残されたものの悲しみはわかります。否定しません。
でも、残されたものは素直に故人を称え偲び、才能なくとも命ある自分の幸せに思いを馳せるべきではないでしょうか。
それが供養だと思います。
小言幸兵衛 天邪鬼爺さんの独り言・・・でした。
2012年12月18日 08:47 | 井上先生のつぶやき
「ゆとり教育」ってそんなに悪いことだったの?・・・
朝起きて畳まれたままの新聞見たらトップニュースが「国際学力テストで日本の小学生・中学生の理数科目の得点が上がった。ゆとり教育をやめた効果は大」というものでした。
そもそも「ゆとり教育」って受験受験でテストの成績に親も子も一喜一憂、自殺者まで出る「受験地獄」から日本の子供たちを救おうと始まったものだったはずです。
受験を目的とした競争的学力を追及するよりも、基礎学力さえ身についたらあとは社会で生きていく生活に必要な情操教育を高めましょう。
他人にやさしく出来る、地球の中で一人でも生きていける強い日本の子供を育てましょう。
という趣旨で始まったことだと記憶しています。
しかし、その結果を検証もしないで国際学力テストで日本の成績が下がったのは「ゆとり教育」のせいだ。
やめたら成績上がったから「ゆとり教育」は間違いだった。
というのは何だか理論のすり替えみたいなニュースですね。
タイやベトナムやミャンマーの子供より日本の子供のほうが数学の問題解く方法を沢山知っていた。
では、日本の子供は山羊は何食べているのか、お母さんがいないとき火を点けるにはどうしたらいいのか、弟が犬に噛まれたときどうしたらいいのか・・・知ってますか、とテストされたらみんな零点でしょう。
「学校から帰ってきた子供に、今日はどんなこと教わってきたの?と尋ねる親のいる家庭の子は成績が良い。」
「玄関がいつもきれいに整頓されている家の子は成績が良い。」
これはそうだろうと思いますし、当たり前だよねとも思います。
子供は大人が関心を持ってくれなかったら勉強する意欲が続かない…ということです。
日本の子供の学力低下は「ゆとり教育」のせいなんかじゃなくて「親の無関心」のせいかもしれません。
子供が勉強してたら「あらぁえらいねぇ、ご苦労さん」。
テスト持って帰ってきたら点数は置いといて「よくやったじゃない、お疲れさん」
・・・言ってあげてみませんか。
親子で微笑むことできると思いますよ。
これが「ゆとり教育」じゃあないでしょうかね。
小言幸兵衛 天邪鬼爺さんの独り言でした。
2012年12月 7日 16:40 | 井上先生のつぶやき
赤ちゃんに「ごくろうさん、おつかれさん」と言ってみよう
昨日本を読んでいて「素っ裸」は英語でなんて言うんだろうと考えました。
・・・何の本を読んでるねんと突っ込み入れられそうですが、そこは本題じゃないのでご容赦願うとして・・・みなさんは答えられますか。
「 completely make off 」でした。
英語でもの考える人たちはその行動過程を大切に考えて結果はあまり関心ないように思います。
逆に日本人はそうなった結果ばかりを気にしてそうなる過程を重要視しない傾向にあるのではないかと感じました。
日本語には名詞=単語が多くて、英語には動詞=熟語が多いですね。
虫が好きで魚が好きで先生以上に詳しい知識持ってる子供たちっていてますよね。
でも理科生物の試験点数が悪ければ結果だけでその子は「できない子」というレッテルを貼られてしまう、これが日本の文化です。
悪いとは言いません。
社会の規律を維持するにはそのほうがいいことは歴史が証明しています。
だから日本人は世界中で尊敬あるいは畏怖されてきたのです。
今の日本人は団塊の世代以降みんな米国民主主義的教育を受けて行動過程を大切にする教育を受けてきたはずなのに結果ばかり気にして窮窮している。
それを教えた大人が戦前の日本的文化継承者であったということが今の文化的混乱を招いているのではないか。
その結果なかなか成果の出しにくい現在では閉塞感が蔓延してしまうのはしかたないことだろうといささか可哀そうになります。
最近お産をお世話していて同じような違和感を覚えることが多くなりました。
長い間陣痛の痛みに耐えて苦労して産んだ赤ちゃんに「頑張ったね、お疲れさん、ご苦労さん」
最初に一言赤ちゃんに声かけてあげるご両親のいかに少ないことか。
たいがいは「五体満足ですか、大丈夫ですか、指五本ありますか」
みんな結果しか気にしてない。
そのことに違和感を感じています。
お母さんは頑張った、お父さんも頑張って腰さすった、一緒に赤ちゃんも頑張ったんです。
やはりご両親が最初に赤ちゃんにかけてあげる言葉は「ごくろうさん、おつかれさん」
そのあと「産まれてきてくれてありがとううれしかったよ」かなと思います。
子育ても同じ。
赤ちゃんがウンチしたら「ごくろうさん」、
おっぱい飲んだら「おつかれさん」、
泣いたらやはり「おつかれさん」・・・子育て楽になりますよ。
小言幸兵衛、天邪鬼な爺さんの独り言でした。
2012年8月16日 14:56 | 井上先生のつぶやき
自己紹介②
昨年、日本は信じたくない天災に数々襲われました。
復興の過程で『絆』という文字がもてはやされました。
絆とは何か起こった時、何かあった時に繋がるものではないと思います。
土地に住み育て、子を産み育て、親を看取る、そんな普通の日常の積み重ねが『絆』だと考えます。
貴女が生活していることそれこそが『絆』だと思い直してください。
われわれは貴女のその思いを実現するための手助けがしたい、出来ればいいなと考えております。
心配なこと、不安なこと、ありましたらどうぞお気軽に訪れてください。
我々は貴女のお役に立てることを喜びに思っております。